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台湾旅行記@予習編1

 さっきまで大作を書いていたのにIEの勝手なエラーによってすべて原稿が消えました…もう一回書くのかと思うとかなり欝です。

 はあ、頑張ってもう一回書くかな

 

 題名にあるように、今回は予習編です。今度の台湾旅行には少し台湾の歴史などを理解して欲しいので。

 これを読んでおかないと台湾旅行記が読みにくく

なる部分が出てきます。それでもいいなら今回の

文章は飛ばしちゃってください。


 


 それでは、予習編1の始まり始まり~


 まず、台湾ってどんなところかご存知ですか?

 ちなみに旅行前に自分が持っていたイメージは

 ・なんか中国と独立云々でぎすぎすしてるよね
 ・経済が盛んだとか?
 ・昔、日本が占領してたよね

 こんな程度でした。それで今回の旅行でみきをに色々本やら知識やらをもらって知らなかったことを色々知りました。

 台湾にはかなり重い歴史があったんです。その名も2・28事件。詳細は次の予習編2にまわしたいと思います。とりあえず予習編1は台湾の近代からの歴史をざっと見直して、台湾はどんなとこなのか理解してもらいましょう。

 

 17世紀、台湾は日本への中継点としてオランダやスペインに一部を占領された。結果的にはスペインはオランダに追い出され、そしてオランダは清朝に負けて台湾に逃れてきた明朝の鄭成功によって追い出された。

 1683年、鄭の死後、明朝は清朝に滅ぼされ、台湾は1684年、福建省に隷属された。これ以降、清朝は200年もの間、台湾を支配したが、清朝は特に台湾を開発しようともせず、簡単に言えば清朝は台湾を放っておいたのである。ちなみに、移民がこの時期に台湾を開発したらしい。

 1895年、日清戦争で日本に負けた清は下関条約で台湾を日本に割譲した。無論、台湾では抗日運動が起き、日本は台北に無血入城したものの、5ヶ月間の抵抗運動により、日本軍は死者278名、負傷者654名を出した。結果的に日本軍は勝利したが、このときに台湾人14000人近くが戦死、もしくは殺戮されたという。

 ちなみに、当時の植民政策ではこんなことは世界中で起こっていたことに注意。何も台湾が特別なわけではありません。無論、殺戮が許されるとは思いませんが。

 抗日運動が下火になると、武力によって台湾を支配していた日本は方針を転換し、これまでオランダ、スペイン、清がやってこなかった台湾の大掛かりな開発に着手。台湾のインフラ整備、日本式の教育施設の導入、産業の工業化に力を入れた。

 これは、当時の植民政策では驚くべきものであった。普通、現地人に教育すれば知識人が増え、反乱の火種となりうるからである。つまり、日本は台湾を占領したが、台湾人を殖民対象とせず、日本人としてみていたのである。無論、差別待遇もあったが。

 1945年、第二次世界大戦で敗北した日本は連合国に無条件降伏。その結果、台湾も手放すこととなったのである。そのとき、中華民国のトップであり、連合国で中国方面最高司令官でもあった蒋介石が台湾を接収したのである。いわば、日本でのマッカーサーのような立ち位置がそのときの台湾にとっての蒋介石であったのである。ちなみに、蒋介石は日本に負ける寸前だったのがこれにより助かったのである。

 1947年、2・28事件が勃発。このときに発令された戒厳令は1987年まで続いた。(戒厳令とは、軍部が司法や行政の権限を奪って独裁状態にできること。いわば剣がペンより強い状態ってことかな)

 1949年、蒋介石の国民党が毛沢東の共産党に負けて台湾へと亡命。中華民国の臨時首都を台北に置き(ちなみに正式な首都は南京としている)、以降、中国本土を取り戻そうとあれこれするが、1971年に毛沢東の中華人民共和国が国連に正式に中国として認められると、蒋介石の中華民国は急速に国際的に孤立していった。

 1988年、蒋介石の息子であり、国民党の総統であった蒋経国が死去の後、初めて台湾生まれの李登輝が国民党の総統として指名される。ここに国民党下であるが、台湾人総統が誕生したのである。

 以降、急速に台湾は民主化が進み、今は反国民党政党である民進党が政権を握っている。

 こういう風に台湾の歴史はなっています。

 つまり、内戦で負けた方が台湾に入って「うちが本当の中国だ」と叫んでいたために話がややこしくなっているんですね。今は、日本で言うならGHQが「本当の日本だ」と叫んでいるようなもので、正式な政府ではなく、未だ台湾は「占領」されている、と公式にはなっているんです。

 無論、台湾の人々も今では自分たちが中国人ではなく台湾人であるという意識を持つ人が過半数になってきたので、独立したいのは山々なんですが、中国の武力介入を恐れて自由にできない、ということもあるようです。

 さて、今回はあまり多くを語りませんでしたが、次は2・28事件について語りましょう。天安門事件よりもよっぽど悲惨な事件でありながら、全く知られることの無い台湾での悲しい歴史を皆さんにも知って欲しいのです。

 また、今回の文章においては参考文献として「地球の歩き方」「ウィキペディア」を使い、基本的に事実と現状を淡々と書いたものです。私情はなるべく挟まないように努力しました。

 その上での批判などはちゃんと受け付けますが、根拠を示さないものに関しては一切関知いたしません。根拠を熟慮した上で間違いだとわかったものはちゃんと訂正します。また、歴史に関しての文句は「地球の歩き方」・「ウィキペディア」にしてください。
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Author:北兎。。
誕生日 阪神が優勝した年の4月5日。
年齢 お酒を飲んでも咎められなくなりました。
性別 男子校出身ですね。
血液型 どなたにも献血できる便利な血液型です。
星座 メェ~
職業 かろうじて大学生。
趣味 読書、ピアノ、剣道
出身地 そば飯の発祥地です。
特技 ピアノ…にしておく。一応3歳から。
長所    一度決めたところまではやり遂げるところ
短所    でも決めたところまで行ったら何もしなくなるところ
好きな食べ物 和菓子や和食。胃に優しくすごしましょう…
嫌いな食べ物 ゲテモノ。

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